聖アントニオ・マリア・クラレ司教
集会祈願
🌸 第一朗読 (ローマ5.12、15b、17-19、20b-21)
12〔皆さん、〕一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
15一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 17一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。 18そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 19一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 20しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
🌸 答唱詩編 詩編40 典54 ③⑤
アレルヤ唱 典274 ⑤
🌸 福音朗読 (ルカ12.35-38)
ルカによる福音
35〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
来たるべき日(終末の日)に向けて、よく準備しているようにとの教え。ルカにおいて、終末は決して近い将来のことではないが、同時に、いつのことか誰にもわからない。その日に向けての戒めは何度も繰り返される。それがまさに、教会のときだからである。
このたとえは、本来主人を迎える僕についての話だが、ルカは、同時に、主人自身についての教えも加える。「主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」と。この考えは、最後の晩餐でのルカの記述にも現れる。使徒たちが、自分たちの間で、だれが偉いかと議論を始めたとき、「あなたがたの中で偉い人、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」と言い、さらに「わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22.27)と主イエスは言われた。
聖書の中で言われる「仕える」とか「給仕する」とはどういう意味か。現代よく使われる「サ-ビス」とどう違うのか。サービスは、「サービス残業」と言う言葉が使われるように、いつの間にか、対価を求めるものになってしまった。しかし、聖書で言われる「仕える」は、報酬を求めない、ただで与える、しかも、相手に対する尊敬、思いやり、愛をもって行うもの。ヨハネによれば、イエスは、晩餐の席で、自ら弟子の足を洗うことー本来奴隷(servus)が行うことーによって、その意味を明かされ、弟子たちにも同じように行うよう教えられた。神が、そのようなお方であるとは、実に驚くべきことではないか。(S.T.)
腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
本日福音冒頭を見て三木清全集第十八巻を手に取った。
百四ページから「宗教について」という文章がある。
彼を知った高1の夏から、いつも彼は、僕を目覚めさせてくれる。