聖ヨハネ -カペストラノ- 司祭
集会祈願
🌸 第一朗読 (ローマ4・20-25)
20アブラハムは不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 21神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。 22だからまた、それが彼の義と認められたわけです。 23しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、 24わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。 25イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。
🌸 答唱詩編 詩編 典
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (ルカ12・13-21)
ルカによる福音
13群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」 14イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」 15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」 16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。 17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、 18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、 19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』 20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「有り余るほどのほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできない」。「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」。ルカだけが記している、この「愚かな金持ち」のたとえの話は、経済的に豊かになった現代人に大きな問いを投げかけている。
人間が生きるために、衣食住をはじめとし、ものを持つことは不可欠だが、度を過ぎると、持つものに自分が逆に支配される危険をはらんでいる。その根源的な問題に取り組んだフランスの哲学者、ガブリエル・マルセルは、その思想の根本となる著作を『存在と所有』(Ētre et avoir)とした。彼によれば、現代文化の大きな危機は、人々がものを「所有する」ことにあまりにとらわれていることにある、とする。その結果、物だけでなく、他者をもものとみなし、他者との人格的な交わりをおろそかにし、自分中心で、本来の自由を失い、人間として貧しくなることからくる、としている。
以前、フィリピンを訪問し、文字通り貧しい生活を強いられている子どもたちの笑顔が目に焼き付いたが、日本に戻って来て目についた子どもたちが、体格はよいが、無表情で、どこかもの悲しげな様子にショックを受けたことが忘れられない。その違いはどこからくるのか。簡単な説明は慎むべきだが、ものに縛られない人間がもつ、自由と喜びにあふれた生き方が、鍵であるように思えてならない。
はたして、信仰という、人間を本来の自由に導く恵みをいただいているわたしたちは、どんな表情をしているだろうか。(S.T.)
今日は第一朗読冒頭からアブラハムが出てくるよ~
♪アブラハムは七人の子
1人はノッポであとチビ
み~んな仲良く遊んでる!
さあ!踊りましょ!
♪♪~
って歌があった。
もちろん僕らも踊ってた。
Let’s DANCE!