聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士
集会祈願
🌸 第一朗読 (ヘブライ10:1-10)
ヘブライ人への手紙
1〔皆さん、〕律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。 2もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。 3ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。 4雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。
5それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、
むしろ、わたしのために
体を備えてくださいました。
6あなたは、焼き尽くす献げ物や
罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
7そこで、わたしは言いました。
『御覧ください。わたしは来ました。
聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、
神よ、御心を行うために。』」
8ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、 9次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。 10この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。
🌸 答唱詩編 詩編40 典54 ①④
アレルヤ唱 典269(17A)
🌸 福音朗読 (マルコ3:31-35)
マルコによる福音
31〔そのとき、〕イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 32大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 33イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 34周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 35神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
先週、身内の人々がイエスが気が変になったと思って、イエスを取り押さえに来た話が読まれた。今日は、お身内の方々が外に立って、イエスを呼びに人を送って来られたとき、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と問われる。いよいよ、イエスはおかしい、と思われても仕方がないような応対の仕方である。
身内、あるいは、血のつながりが何にもまさる強い縁であることは、ユダヤ人に限らず、どの民族にも言えること。日本でも、いざという時、いのちにかかわるような状態になった時、呼ばれるのは家族。修道者のように、家を出た人、家族を持たない生き方をする人は、なかなか理解されない。また、だれかが財産を残して死んだ場合、相続権のあるのは、配偶者、子、親、そして、兄弟。生前の関係がどのようなものであっても、血のつながりが、最優先される。そうした人間社会の常識に挑戦するかのように、イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と言われる。
そして、イエスは、そうした人間の常識に代わる、新しい人間関係の形を提唱する。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのである。」だれにでも開かれた、ただ一つの条件で結ばれた新しい絆、それは、神の御心を第一にして生きる人。神は家族の絆を超えた
より普遍的な愛をもって、すべての人を受け入れられるからではないか。(S.T.)
家族を持たないとは、すべての人の家族になること。
初めて自覚的に福音書を読んだ時、最も心が解放されてたのが今日の箇所だった。
初心忘るべからず。