集会祈願
🌸 第一朗読 (マラキ3:19-20a)
マラキの預言
19見よ、その日が来る
炉のように燃える日が。
高慢な者、悪を行う者は
すべてわらのようになる。
到来するその日は、と万軍の主は言われる。
彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
20しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
🌸 答唱詩編 詩編98 典149 ③④
🌸 第二朗読 (二テサロニケ3:7-12)
使徒パウロテサロニケの教会への手紙
7〔皆さん、あなたがたは、〕わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。 8また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。 9援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。 10実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 11ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。 12そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。
アレルヤ唱 典274 33C
🌸 福音朗読 (ルカ21:5-19)
ルカによる福音
5〔そのとき、〕ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 12しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 14だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。 16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。 18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
奉納祈願
拝領祈願
I
🌸 分かち合い
今年も、いよいよ大詰めが近づいてきました。年間最後の主日で、来週は王であるキリストの祭日、そして、翌週から待降節に入ります。
今日の福音では、イエスが、ガリラヤからの旅の目的地であるエルサレムに入り、一連の説教をされた後、いよいよ終末(世の終わり)について語られた言葉が読まれました。ヘロデによって、何十年もかけてなされた大修復工事が終わって、燦然と輝く神殿を前にして人々が感嘆の言葉を発していたとき、イエスは言われます、「あなたがたはこれらの物に見とれているが、ひとつの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る、」と。事実、それから、40年も経たない紀元70年、ローマ軍によって神殿をはじめエルサレムの町全体が破壊され、灰燼に帰すとはだれが想像したでしょうか。
しかし、イエスは、エルサレムの滅亡だけでなく、世界全体に及ぶ、物理的、また、人的災害について語られます。「戦争や暴動のことを聞いてもおびえてはならない。」イエスの名を騙ったり、世の終わりが近づいた、とか言うことを聞いても、信じてはいけない。戦争や地震、飢饉や疫病、天に現れる大きなしるし等、自然界の動揺が、あちこちに現れようとも、驚いてはならない、と。
それに加えて、イエスに従うものに様々な苦しみが襲ってくる。ユダヤ人の会堂から追放され、王や総督の前にまで連れて行かれる。しかし、それは、キリストを証しする貴重な機会となる、と。
自然界の動揺と、人間世界の争乱、それとキリストに従う者が受ける迫害がどのように結びつくのか、自分にとっては、長い間謎でした。しかし、聖書を貫く思想をゆっくり考えてみれば、そこには、壮大なビジョンがあることに気づかされます。聖書のはじめに記されたように、この世界とそこに存在するものは、すべて、神によって、時間の中で、時間と共にあるものとして造られました。いつか始まったものには、必ず終わりの時が来るのです。自然もそこに住む人間も例外なく。そうした世界に、神の子が人となり、いつか終わりが来る人間と同じように死を味わわれました。その生と死を通して、すべてを造られた神がいかなる方であるか、造られたものとして人間はいかに生きるべきかを教えられたのです。キリストに従う決意をした弟子たちも、この世にあって、この世を超える方を証しする使命をいただきました。何と壮大な、時間と空間を包み込むビジョンでしょうか。
今日の第一朗読では、マラキの預言が読まれました。預言者の系列の最後に来る預言で、紀元前5世紀前半、捕囚から帰還して、神殿を再建し、国を復興させ、いよいよ、という時ですが、実際は、様々な問題が発生し、イスラエルは収拾の難しい状況に置かれていました。そうした状況の上に、預言者は、神が裁きを行うと宣言します。「その日が来る。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来する日は、彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある」と。
人間が作りだすもの、そして、人間を取り巻く、人間が信頼を置いているものは、いつかすべて終わりが来ます。神殿も、大聖堂も、かつて栄華をほこった名城も、そして、現代の高層ビルも。その中で、変わらないもの、永遠なるものを求めて生きること、そのような信仰者の態度が、今も、そしてこれからも試されます。
どれほど立派で、人々の驚嘆の的になっていても、人間が作りだしたものには、終わる時が来る。人間が住む、この自然環境も、そして、人間が生み出したこの世の王国も、いつか滅びる時が来る。その中で、滅びぬものを求める心があるか、それが人間に試される。
イエスは言われました、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びることがない」(マタイ24.35)と。この言葉を深く味わい、一層その意味に適った生き方が出来るよう、主の導きを祈ろう。(S.T)
第二朗読パウロ発言について。
仕事とは、いまこの瞬間、正しく生きること。
賃労働とは限らない。
では、正しくとは?
思いっきり遊ぶのは子どもの仕事。
我々は神の子ども。
今、これを書いたら、FMから、山下達郎『今日は何だか』が流れて来て、一緒に踊ったら、コリン・パウエルの文庫本のところで転び、立ち上がり、立ちくらみ、しばらく踊り続けたが、急に激烈に踊ったので息切れして休んだ。しかし、山下達郎の演奏はしばらく続いた。
一回り以上、上の兄貴に負けた!
畜生!
(畜生って悪い意味って知ってた?
僕は2年ほど前、例の純ちゃんの店のバイトのジュリちゃんに教えてもらって知った。辞書でも確認した。それまで、負けた時の、起死回生!気合い入れの言葉と思っていた。)
今日のミサは休んでしまおうかな、と思っていたが、スマホで現役30代女性の孤独死の記事を見て、とにかくそのまま汚いカッコでミサに与った。
教会に向う車を、小中学校の頃、歩いた道を走らせながら、
昔はもっと、良い意味で汚い人がたくさんいたのになあ!
と思った。
貧しくても、ありのままの自分をさらけ出し、美しい目をした汚い身なりの人がいたのに。
今は私が住んでいる地方ではホームレスという形でなく精神病院か施設に入れられている。都会ではホームレスか孤独死か。
とにかく、「汚い人・市民権」の確立の一歩!と思い、ミサに与り、
ゆっくり祈って帰ろうと思ったら、アフリカから来た友人に、
若いのだから、もっとキレイなカッコをしろ、と言われ、互いに歳を言い合ったら、彼の方が4歳若かった。
玄関ではフィリピン人の女性が柿をくれた。
そんなこともあり、帰りにスーパーにより納豆、卵と値引きされたパンとヨーグルトを買ってきた。
今日の夜ある友人のライブ(2千円!)は、雨も降ってきたし休もう。
それにしても今日の福音箇所はマタイ、マルコの並行箇所とともに、よく読んでいるところで2011年頃からの自分の情況と重なる。
自分が世の人々に受け入れられないのは、むしろ当然と考えていた方が落ち着く。
分かち合いの文章で神の無限の雄大さと、自分の有限の人生を思い、心が落ち着きました。ありがとうございました。