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教皇の意向:希望の巡礼者 (12月)

四旬節第三土曜日(3/18)

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神様、罪人のわたしを憐れんでください

ルカ18:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (ホセア6:1-6)

ホセアの預言

1「さあ、我々は主のもとに帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
2二日の後、主は我々を生かし
三日目に、立ち上がらせてくださる。
我々は御前に生きる。
3我々は主を知ろう。
主を知ることを追い求めよう。
主は曙の光のように必ず現れ
降り注ぐ雨のように
大地を潤す春雨のように
我々を訪れてくださる。」

4エフライムよ
わたしはお前をどうしたらよいのか。
ユダよ、お前をどうしたらよいのか。
お前たちの愛は朝の霧
すぐに消えうせる露のようだ。
5それゆえ、わたしは彼らを
預言者たちによって切り倒し
わたしの口の言葉をもって滅ぼす。
わたしの行う裁きは光のように現れる。
6わたしが喜ぶのは
愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
焼き尽くす献げ物ではない。

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ルカ18:9-14)

ルカによる福音

 9自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。 10「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。 11ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。 12わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』 13ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』 14言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 四旬節は復活節を迎えるにあたって、自分が今立っている地平、レベルを知るときです。本来いるべきところにいないなら、修正する。聖書の言葉は、それを知るための指標です。
 福音では、ファリサイ派の人と徴税人のたとえが読まれました。ファリサイ派の人は言います、自分が他の人のように、悪事(奪い取らない、不正をしない、姦淫しない)を行っていない、それどころか、善行(断食、献金)を積んでいる、そのことを感謝します、と。一見、何の悪い所はどこにもない、むしろ、模範的なユダヤ人に見えます。
 徴税人は、逆に、何も誇るものがない人です。ただ、遠くに立ち、目を上げようとせず、胸を打ちながら、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」というだけです。
 「義とされて家に帰ったのは徴税人だ」とイエスは言われます。かつて、義人と言えば、正しい人=神の掟を守り行う人のことでした。旧約聖書(詩編)のライトモチーフです。まさに、そこに落とし穴があったのです。
 預言者ホセアが訴えているのもその点です。イスラエルはいけにえ、焼き尽くす献げ物等、たくさんの犠牲を捧げていました。しかし、神が喜ばれるのは、いけにえではなく、「愛」であり、「神を知ること」だと、預言者は言います。神を知るとは、自らの罪深さ、みじめさ、無力さを認め、それにもかかわらず自分を赦し受け入れる神に信頼すること、まさに、徴税人の態度です。そんなレベルに立ち戻ることができるよう祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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