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教皇の意向:子を失った親 (11月)

三位一体の主日(6/12)

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父が持っておられるものはすべて、わたしのものである

ヨハネ16:15
集会祈願

🌸 第一朗読 (箴言8:22-31)

〔神の知恵は語る。〕
22主は、その道の初めにわたしを造られた。
いにしえの御業になお、先立って。
23永遠の昔、わたしは祝別されていた。
太初、大地に先立って。
24わたしは生み出されていた
深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。
25山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが
わたしは生み出されていた。
26大地も野も、地上の最初の塵も
まだ造られていなかった。
27わたしはそこにいた
主が天をその位置に備え
深淵の面に輪を描いて境界とされたとき
28主が上から雲に力をもたせ
深淵の源に勢いを与えられたとき
29この原始の海に境界を定め
水が岸を越えないようにし
大地の基を定められたとき。
30御もとにあって、わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
31主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。」

🌸 答唱詩編 詩編8 典48①②

🌸 第二朗読 (ローマ5:1-5)

使徒パウロのローマの教会への手紙

〔皆さん、〕わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 2このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 3そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 4忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 5希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ16:12-15)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 三位一体の祝日が正式に典礼に取り入れられたのは14世紀のことと言われますが、翻ってみれば、マタイ福音書の最後に「父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」とあるように、初代教会(1世紀後半)から、その考えは、教会生活の中心に置かれていたようです。「父と子と聖霊」と言えば、わたしたちの祈りの前後に必ず加える言葉であり、主日のミサで唱える信条の骨格は、父と子と聖霊の神への信仰告白です。それほど、三位一体はわたしたちの信仰生活と深いつながりがありますが、はたしてどこまで、それを実感しているでしょうか。

 「三位一体」(Trinity、Trinitas)という言葉は、古代の教会の激しい論争の結果生まれた言葉ですが、その根本となる考えは、旧約聖書に遡ります。今日の第一朗読には、旧約聖書の一つのジャンル、知恵文学から「箴言」が選ばれています。箴言には、昔から伝えられて来た人生をよく生きるための知恵が様々な角度から記されていますが、今日の箇所では、その冒頭の部分で「知恵」自らが語る形で、まことの知恵がいかなるものであるかを記しています。「主は、その道のはじめにわたしを造られた。・・・永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。・・・わたしは生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵もまだ造られていなかった。わたしはそこにいた。」と。知恵は、天地の創造の始めからあり、創造のわざに協力した、と。新約の時代に、ヨハネが「言」(み言葉)としてとらえた、人となられた神の子が、すでにそこにほのめかされているのです。

 人となってこの世に生まれ、人々と共に生きられた神の子イエスは、旧約の伝統を受け継ぎながらも、彼らのまったく思いも及ばない神の現実を知らせることを自らの使命とされました。人々にとって、時に厳しく恐ろしい、遠い存在と思われた神を「父」と呼び、いつくしみとゆるしの愛に満ちた方であり、自分がその父から遣わされたものであることをはばかることなく明かされました。ヨハネによれば、その父と自らを一体化させたことが、イエスを死に追いやる最大の要因であったようです。先ほどの福音で読まれたように、イエスは自らが去った後、自分に代わって父からの使命を果たす父の霊、真理の霊が遣わされることを約束されました。聖霊は、イエスが教えたこと、父から聞いて人々に語ったことのすべてを教え、悟らせる、神の霊です。イエスは父から委ねられた使命を生き抜くだけでなく、その業を聖霊に委ねることによって、使命が完成されることをご存じでした。先日祝った聖霊降臨は、まさに、そのことの記念であり、イエスに託された使命の完成でした。

 聖霊の働きは終わっていません。むしろ、世の終わりまで、教会を導き、わたしたち信仰者を生かし、困難の中にあっても、希望を与える方なのです。第二朗読のローマの教会への手紙で聖パウロが記すように、「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。

 イエスを信じる者は、この、父と子と聖霊の、三位の神を信じる人々であり、三位の神のいのちに与る恵みを受けた人々です。三位一体の主日にあたって、この大きな恵みに感謝しましょう。だれも自ら知ることのできない神の世界、神のいのちの神秘を惜しみない心で示し、その神の子としてくださった主イエスに感謝しましょう。そして、この神のいのちの神秘を、自らの言葉で書き記し、人類に神のいのちの宝庫を開いて見せてくれた福音史家、そして、その神秘のより深い理解・解明のため命を賭して戦った教父、神学者に感謝しましょう。また、この悟ることのできない神のいのちの神秘を自らの生き方、語り方、愛し方を通して、人々に証ししてくださったあまたの聖人たちに感謝しましょう。そして、わたしたちも自らの生涯を通して、少しでも、三位の神の愛に満ちた命を人々とわかちあうことが出来るよう、主の恵みを祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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