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教皇の意向:子を失った親 (11月)

聖家族C年(12/26)

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イエスは知恵が増し、神と人とに愛された

ルカ2:52
集会祈願

🌸 第一朗読 (サムエル上1.20-22、24-28)

20ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。
21さて、夫エルカナが家族と共に年ごとのいけにえと自分の満願の献げ物を主にささげるために上って行こうとしたとき、 22ハンナは行こうとせず、夫に言った。「この子が乳離れしてから、一緒に主の御顔を仰ぎに行きます。そこにこの子をいつまでもとどまらせましょう。」
24乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、 25人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。 26ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。 27わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。 28わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」
彼らはそこで主を礼拝した。

🌸 答唱詩編 詩編84 典102 ①③④

🌸 第二朗読 (一ヨハネ3.1-2、21-24)

 1御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。
  21愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ、 22神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。 23その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。 24神の掟を守る人は、神の内にいつもとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。神がわたしたちの内にとどまってくださることは、神が与えてくださった“霊”によって分かります。

アレルヤ唱 典270 51

🌸 福音朗読 (ルカ2.41-52)

ルカによる福音
 41〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 42イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 43祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 44イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、 45見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。 46三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。 47聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 48両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 49すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」 50しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 51それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 52イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 降誕祭直後の主日が聖家族の祝日と定められていますが、今年は、降誕祭が土曜日だったため、その翌日の今日ということになりました。この日に読まれる福音は、A年では幼児を連れてのエジプトへの避難、B年では誕生後間もない幼児イエスの神殿での奉献、C年では、12歳の時の神殿での出来事です。いずれも、聖家族が家族として経験する、喜びと悲しみを伝えるものです。今年はC年にあたり、神殿で学者に立ち混じって聖書問答をするイエスに戸惑うマリアとヨセフ、そして毅然とした態度で答える少年イエスの姿が読まれました。

 個人的なことになりますが、今年は、下関で働きだして4年目、その間、今までの司祭としての経験とは違った、家族にかかわる出来事をいろいろ体験させていただきました。若いカップルの結婚前の準備講座、授かった子どもさんの洗礼のための準備、幼稚園に通う子どもたちと親御さんの関係、また、高齢の方が多いことから、老夫婦の抱える問題、御病気、そして、帰天にまつわる種々のつとめ。司祭としてのつとめの多くが、信者さんの家族の問題にふれさせていただくことだったように思います。おかげで、自分自身家庭を持たない身でありながら、家族の問題について、以前にもまして、いろいろ考えさせられてきたように思います。

 この教会も例外ではありまえんが、日本の社会は今、高齢化と少子化という大きな問題に直面しています。報道される多くの事件、出来事が子ども、ひいては、家族の問題と関連していることが多い印象を受けます。そして、岸田内閣は、2年後に、「子ども家庭庁」を創設することを検討していることがつい先日報道されました。子どもたちが健やかに成長し、人々が家族の中で豊かな人間関係を築いてゆくことは、人間一人一人にとっても、社会全体にとっても大事なことですが、たとえ理想的と思われる家庭に生まれ育ったとしても、家族として経験する苦しみや悲しみを免れることはできません。

 今日記念する聖家族、そして、その中心におられるお生まれになった神の子イエスは、まさに、そうした人間の家族の現実の中に自らの居場所を見つけられたのです。幼児が神殿に捧げられるとき、母は、子のためにどれほどの苦しみを味わうことになるか、老シメオンは預言しました。そして、今日の福音でお聞きになったように、少年イエスは、自らの使命を自覚し、たとえ親を戸惑わせ、悲しませることがあっても、何にもまさって「父の家」、つまり、神の意志に従うことが自分の使命であることを宣言されました。人となられた神の子イエスは、家族の中で生を受けた人間が必ず経験する生、老、病、そして、死を自らのものとされ、そうした経験の中で、いかに生きるかを教えてくださったのです。

 今日の第二朗読の中で、ヨハネは教えます。「互いに愛し合いなさい」と。それは、ただ、互いに仲良くし、何の問題もなく、平穏無事に生きるということではありません。どんな状況に置かれても、相手をゆるし、受け入れ、「愛すること」。愛が神から来ることを知って、心を神に向け、「神を愛し、兄弟を愛する」ことです。それによって、神と共に生きる、「神の内にとどまり、神もその人の内にとどまる」ことが出来ると教えるのです。

 聖家族のように、家族のための苦しみ、痛み、悲しみ、それを神からのものとして受け入れ、それによって、より清められ、強められ、深められた愛をもって生きることができれば、神が備えてくださる、終わることのない喜びと幸せに与ることができるでしょう。家族のために、家族であるがために、様々な悩み、苦しみを抱える人々が、主の導きにより、そうした苦しみから解放され、真の喜びをもって生きることが出来るよう祈りましょう。

 最後に、5年前にフランシスコ教皇が発表された使徒的勧告『愛のよろこび』の末尾に載せられた「聖家族への祈り」を紹介します。

イエス、マリア、ヨセフ、あなたがたのうちに、まことの愛の輝きを見、信頼を込めてあなたがたにゆだねます。

 ナザレの聖家族よ、わたしたちの家庭をも 交わりの場、祈りの高間、福音の学びや、そして小さな家庭の教会としてください。

  ナザレの聖家族よ、家庭の中で決して 暴力も排除も分裂も起こることがありませんように。傷ついた人、つまずいた人が皆、直ちに慰められ、いやされますように。
 ナザレの聖家族よ、わたしたち皆が、家庭の神聖で不可侵な性格と、神の計画におけるそのすばらしさを自覚することができますように。 
 
  イエス、マリア、ヨセフ、わたしたちに耳を傾け、わたしたちの願いを聞き入れてください。アーメン。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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