集会祈願
🌸 第一朗読 (使徒言行録19.1-8)
1アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、 2彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。 3パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。 4そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」 5人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。 6パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。 7この人たちは、皆で十二人ほどであった。
8パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。
🌸 答唱詩編 詩編68 典34 ①②
アレルヤ唱 典267 ⑦
🌸 福音朗読 (ヨハネ16.29-33)
ヨハネによる福音
29「そのとき、弟子たちはイエスに言った。」「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。 30あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」 31イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。 32だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。 33これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
晩餐の説教の結びの部分で、17章のイエスの「大祭司的祈り」と言われる部分に続く。弟子たちの言葉を受けてイエスは言われる、「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている」と。事実、イエスが十字架に付けられたとき、弟子たちのほとんどは姿を隠してしまっていた。「しかし、わたしはひとりではない。父が共にいてくださるからだ」と。たしかに、十字架上の苦しみの極みにおいても、イエスは父にすべてを委ね、父への信頼を失わなかった。
そして、最後の言葉、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」「勝っている」という動詞は原文では完了形、つまり、戦局はすでに決定づけられているということ。昔、神学生時代に読んだ本の中に、キリストの救いのわざについて、印象に残る言葉があった。それは、キリストは十字架上の死によって、世との戦いで大局的な勝利を収められた。ただ、極地的な戦闘は残っている、と。これは、慰め深い言葉ではないか。世界の現状は、時に、希望を失うほど錯綜し、解決のない問題ばかりに見える。一つが終われば、また、次の問題が始まる。ただ、勝利はすでに決定的である、という見方は大きな希望を与えるのではないか。
ただ、キリストの勝利、そして平和は、力によるものでなく、愛と従順によるものであること、心に刻もう。(S.T.)