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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第十六水曜日(7/26)

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耳のある者は聞きなさい。

マタイ13:9

聖マリアの両親 聖ヨアキムと聖アンナ

集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト16.1-5、9-15)

出エジプト記
 1イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。 2荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。 3イスラエルの人々は彼らに言った。
 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
4主はモーセに言われた。
 「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。 5ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」
 9モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、 10アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。 11主はモーセに仰せになった。
 12「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
 13夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。 14この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。 15イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。
「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

🌸 答唱詩編 詩編78 典59④a ④b

アレルヤ唱 典

268㉓

🌸 福音朗読 (マタイ13.1-9)

マタイによる福音
 1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 9耳のある者は聞きなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 マタイ13章は、「神の国」に関するたとえを集めた章である。今日はその冒頭、「種まきのたとえ」が読まれた。ある人が種を蒔きに行った。ある種は道端に、他の種は石地に、別の種はいばらの中に、そして、ある種はよい土地に蒔かれた、という。同じ種でも、蒔かれた土地によって、同様な成長をするわけではない。芽を出し、しっかり実を結ぶ種の方が、少ないのかもしれない。
 しかし、いくつか疑問も湧いてくる。たとえば、どうして、土地を耕して、よい土地に種を蒔かないのかと。当時のパレスチナの農夫たちの種の蒔き方は、先に種を蒔いて、あとから土を耕していたらしい。当然、無駄になる種もあったのだろう。
 このたとえを、種がまかれた土地のたとえと取ると、確かにわかりやすいし、実際、すぐ後に来る説明の部分もそのように解釈している。しかし、近年の聖書学者(エレミヤス等)には、違った解釈をするものもいる。つまり、たとえは、「神の国」のたとえであって、本来は、種がまかれた土地のたとえではなく、「種を蒔く人」のたとえだったのではないかと。「種を蒔く人」といえば、まずは、み言葉を語るイエスご自身、ついで、イエスから派遣される弟子たち、そして、宣教者たち。いくら、尊い神のことばといえども、すべての人が、快く受け入れるわけではない。「神の国」のために働くものは、たとえ、実を結ぶものが僅かであっても、忍耐して、神の働きに信頼して働き続けるようにと、いう戒めだったのではないかと。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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