集会祈願
🌸 第一朗読 (ミカ6:1-4、6-8)
ミカの預言
聞け、主の言われることを。
立って、告発せよ、山々の前で。
峰々にお前の声を聞かせよ。
2聞け、山々よ、主の告発を。
とこしえの地の基よ。
主は御自分の民を告発し
イスラエルと争われる。
3「わが民よ。
わたしはお前に何をしたというのか。
何をもってお前を疲れさせたのか。
わたしに答えよ。
4わたしはお前をエジプトの国から導き上り
奴隷の家から贖った。
また、モーセとアロンとミリアムを
お前の前に遣わした。」
6何をもって、わたしは主の御前に出で
いと高き神にぬかずくべきか。
焼き尽くす献げ物として
当歳の子牛をもって御前に出るべきか。
7主は喜ばれるだろうか
幾千の雄羊、幾万の油の流れを。
わが咎を償うために長子を
自分の罪のために胎の実をささげるべきか。
8人よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである
🌸 答唱詩編 詩編50 典171①③
アレルヤ唱 典261③
🌸 福音朗読 (マタイ12:38-42)
マタイによる福音
〔その時、〕何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。 39イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。 40つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。 41ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。 42また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
先日の福音の言葉、「わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。・・・彼は争わず、叫ばず、その声を聞く者は大通りにはいない」を思い出されるだろうか。
イエスが与えようとする「しるし」は、見ようとする者には、ここにも、あそこにも、どこにでも与えられている。人々の病を癒し、罪びとの友となり、人々にパンを増やしておやりになる。それらはすべて、イエスが人となった神の子であることの「しるし」ではないか。
しかし、イエスは、自己弁護をしようとされない。イエスを受け入れようとしないファリサイ派の人々や律法学者には、彼らがとうてい受け入れようとしない「ヨナのしるし」、すなわち、「ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」、という復活を暗示されるだけである。マルコでは、もっと端的に、「今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない」(マルコ8.12)と断言される。
「しるし」を受け入れるために必要なことは、信じる心、謙遜な心をもって、神のことば、神の働きを受け入れることではないか。はたして、わたしたちは、今の時代の中で与えられている「しるし」を見る目をもっているだろうか。その「しるし」とは何だろうか。(S.T.)
「イエスは自己弁護をしようとされない」特にファリサイ派や律法学者に対して、ヨナのしるしを示すか、しるしはないと断言する。
ファリサイ派や律法学者と大論争なんてしないことが霊的生活には不可欠だが、気がつくと巻き込まれそうになっている自分に気づく。世界の悲惨を見て自分の無力を思うとき誘惑は高まる。
霊操をインターネットで受けている。具体的個人的なエピソード、人間の弱さの告白が入っているからこそ普遍を感じる。
どんなに強く雄弁な人も、人間である以上、心は傷ついた葦であり、その命はくすぶる灯心。
困難な時代だからこそ、僕はもっともっと繊細な心を神に求めたい。