集会祈願
🌸 第一朗読 (創世記23:1-4、19、24:1-8、62-67)
1サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。 2サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。 3アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。
4「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」
19その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。
1アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。
2アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。
「手をわたしの腿の間に入れ、 3天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、 4わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」
5僕は尋ねた。
「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」
6アブラハムは答えた。
「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。 7天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。 8もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」
62イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。 63夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。 64リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。リベカはらくだから下り、 65「野原を歩いて、わたしたちを迎えに来るあの人は誰ですか」と僕に尋ねた。「あの方がわたしの主人です」と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。 66僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告した。 67イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。
🌸 答唱詩編 詩編112 典99①②
アレルヤ唱 典
🌸 福音朗読 (マタイ9:9-13)
マタイによる福音
〔そのとき、イエスは〕9イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「徴税人や罪人と一緒に食事をする」と言って、イエスは非難される。徴税人は、イエスの時代、イスラエルを支配下に置いたローマに納める税金の取り立てを行う人。外国に納める税金の取り立てを行うとして、人々から嫌われ、罪人と同列に置かれた。実際に、税金の上米をはねていたかどうかわからないが、そうした職業についていることで、マイナスの評価を受けていた。
イエスが、従事する職業はともかく、罪人と目される人をお召しになったことは否定できない。弟子の頭とされたペトロは、肝心な時に、師を否むという大きな失敗をした。異邦人の使徒として教会の発展にだれよりも尽くしたパウロも、復活のイエスとの出会いを経験するまでは、キリストに従うものを捕える勢力に加担していた。教会の偉大な神学者・教会博士として尊敬されるアウグスチヌスは、若い時には、母を悲しませる放蕩生活に明け暮れていた。
イエスは、放蕩息子の回心を喜ばれる父の愛について語り、イエスと共に十字架にかかり、自らの罪を悔いた盗賊に楽園を約束された。旧約の民もうたう、「主は、打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる心を救ってくださる」(詩34.19)と。徴税人というレッテルを貼られたマタイを弟子の一人に選ばれた主の愛を深く味わい、罪深い自分にさえ、目をかけられた主の愛を人々にも告げ知らせる恵みを願おう。(S.T.)