集会祈願
🌸 第一朗読 (二コリント11.18、21b-30)
18〔皆さん、〕多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。21だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。 22彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。 23キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。 24ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 25鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。 26しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 27苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 28このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。 29だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
30誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
🌸 答唱詩編 詩編34 典128 ①②
アレルヤ唱 典272 ㉞
🌸 福音朗読 (マタイ6.19-23)
マタイによる福音
19〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。 20富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。 21あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
22「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、 23濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
山上の説教の言葉が続く。今日のテーマは「富」。だれもが無意識のうちに蓄えようとする富は「地上にではなく、天に積め」、というイエスの勧め。
しかし、考えてみれば、わたしたちが持ちたいと思う富、財産、宝と言えるものは、すべて地上のものではないか。生きていくうえで、必要なもの、有用なもの、便利なもの、それは、いつかはなくなるとわかっていても、持っていたい。それによって、自分が豊かになり、人前でも一目置かれ、自分でも満足がゆくものであり、それが奪われることは、何としても避けたいと思うのが普通である。災害にあったり、事故や病気で住み慣れた所から離れなければならない時、何が辛いかと言えば、自分の一部とさえなった「富」を手放さなければならないことではないか。
人間は、本能的に自分のものと思い込んでいる「もの」に執着して生きている。それが文字通りの物であれ、家であれ、土地であれ、財産、地位、名声、業績、さらには、自分に授かった子ども等、すべてに縛られ、囚われて生きている。哲学者はそれを「所有」と呼ぶ。今の時代、人はあまりに所有にとらわれ、本来の自分を忘れ、自由を失っている。そうではなく、ものではない、自分のありのままの在り方「存在」を大事にすべきではないか、と。ものに縛られない「澄んだ目」とは、そのような状態を言うのかもしれない。
「天に富を積む」、神の前に豊かなものになる道を歩ませてください、と心から祈ろう。(S.T.)