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教皇の意向:子を失った親 (11月)

年間第六主日 A年(2/12)

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“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。

一コリント2:10
集会祈願

🌸 第一朗読 (シラ15:15-20)

シラ書

15その意志さえあれば、お前は掟を守り、
しかも快く忠実にそれを行うことができる。
16主は、お前の前に火と水を置かれた。
手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。
17人間の前には、生と死が置かれている。
望んで選んだ道が、彼に与えられる。
18主の知恵は豊かであり、
主の力は強く、すべてを見通される。
19主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。
人間の行いはすべて主に知られている。
20主は、不信仰であれとは、
だれにも命じたことはなく、
罪を犯すことを、許されたこともなかった。

🌸 答唱詩編 詩編119 典75 ①④

🌸 第二朗読 (一コリント2:6-10)

使徒パウロのコリントの教会への手紙
 6〔皆さん、〕わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。 7わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。 8この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。 9しかし、このことは、
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。 10わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。

アレルヤ唱 典271 (6A)

🌸 福音朗読 (マタイ5:17-37)

マタイによる福音
 〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕 17「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 18はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。 19だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。 20言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
21「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。 22しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。 23だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 24その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 25あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。 26はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
 27「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 28しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。 29もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。 30もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
 31「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。 32しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
 33「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。 34しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 36また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 教会の教え、あるいは、イエス様の教えの中心は何ですか、と聞かれたら、愛、隣人愛、と答える人は少なくない。実行は難しいが、そのこと自体、さほど難しい内容ではない。しかし、少し聖書を読んで、旧約聖書の話を聞いたりすると、イエスの教えは旧約の教えとどう違うか、ユダヤ人にとって大事な律法とイエスの教えはどう違うか、ということになると、たちまち、わからなくなる。
 今日の福音は、まさに、そうしたことに触れる。先週から始まった「山上の説教」の言葉。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと、思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と。イエスは、ただでさえ、たくさんあって、すべて落ち度なく実行するのが難しいとされる律法に、さらに、掟を加え、もっと厳しいものとされたのか。一見そう思える言葉があちこちにある。「あなたがたが聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける」と。律法は、外面に現れた行為について、規定するものだが、イエスは、外面に現れない心の中まで、規定しようとするのか。簡単にそうだとも言い切れない。
 では、イエスの教えは旧約の律法とどこが違うのか。今日の福音の始めの方に、「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」とあった。律法を何よりも、大事にしてきたファリサイ派の人々とイエスの教えはどこが違っているのか。そもそも「義」とは何のことか。旧約聖書に、「義」という言葉はよく出て来る。神の前に正しいこと、と簡単に言ってよいだろう。ファリサイ派の人々を含め、多くの人は、律法を行うことで義が得られると思っていた。だからこそ、ファリサイ派の人々は律法を厳しく守り、人にも守るように教えていた。それは、どちらかと言えば、自分が行ったことによって得られる「義」で、よい行いをたくさん積めば、それだけ、「義」は大きくなると考えた。しかし、イエスは、そうではない、と言う。「義」は自分で積み上げるものではなく、神からいただくものだと。自分の力では、とても実行できなくても、神が与えてくださる「義」をいただく、自分はむしろ、罪ばかり犯している、神の望みに適って生きることができない、と自覚している人が、神にお詫びし、ゆるしをいただくことで、「義」とされる、とイエスは言う。そのように、神からいただく「義」を大事にすることこそ、ファリサイ派の人々の義にまさるものだと、イエスは言われる。
 熱心なファリサイ派の若者として、かつてキリスト信者を迫害する側にいながら、復活された主イエスとの出会いを通して回心したパウロは、律法を守ることとイエスを信じて生きることの間で、苦しんだ。彼は、かつて、自分にとって益と思っていたことを、キリストを信じることと比べて塵芥と思うようになったと語る。パウロは、言う、「人が義とされるのは律法の行いによるのでなく、信仰による」(ローマ3.28)、「律法を実行することによって、だれ一人神の前で義とされない」(同3.20)と。
 しかし、初代教会の柱の一人だった、ヤコブは、こう言う、「行いを伴わない信仰は死んだものである」と。パウロのように信仰を強調して、行いを軽んじる態度を厳しく戒めています。この二人の主張は、真っ向から対立するように見えるが、果たしてそうか。強調点は異なるが、決して矛盾するものではない。パウロも言う、「人を愛する者は、律法を全うする」(ローマ13.8)。さらには、「律法全体は『隣人を自分のように愛しなさい』との一句によって全うされる」(ガラテヤ5.14)と。
 結局、イエスの教えは、旧約の教え、律法を土台としながらも、そこに、要となる愛があること、パウロが言う、愛の実践を伴う信仰(ガラテヤ5.6)があることを、何よりも大事にしているのではないか。旧約の人々が大事にしてきた律法も、愛がなければ空しいものであり、決して神の前に義をもたらすものでないことを学ばなければならない。そして、その愛さえも、神の恵みなしに実践できないことを、心にしっかり刻みたい。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 今日、2月12日は確かリンカーンの誕生日。
    田舎司祭の日記ならね田舎弁護士の日記という小説を書いたかは寡聞にして知らないが、確か自分サイドに不利な証拠もすべて法廷に提出したと(戒能通孝『法定技術
    』)。
    最近、近所の日本共産党員から、うっかり大統領就任の時か南北戦争勝利の時か忘れたが、マルクスはリンカーンに祝電を打ったと聞いた。
    人間どうせ打つなら鉄砲とかミサイルとかでなく祝電を打ちたい。
    そううつ!?(ぼくの干支は蛇なので蛇足で生きている。そう言えば、飲む打つ買うってのもあった。)

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