集会祈願
🌸 第一朗読 (ダニエル3.14-20、24-25、28)
14〔その日、ネブカドネツァル王は〕言った。
「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、お前たちがわたしの神に仕えず、わたしの建てた金の像を拝まないというのは本当か。 15今、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音楽が聞こえると同時にひれ伏し、わたしの建てた金の像を拝むつもりでいるなら、それでよい。もしも拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか。」
16シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。
「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。 17わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。 18そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
19ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。 20そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。
24間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。
「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」
彼らは答えた。
「王様、そのとおりでございます。」
25王は言った。
「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
28ネブカドネツァル王は言った。
「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
🌸 答唱詩編 詩編 典49①②
詠唱 典263 10
🌸 福音朗読 (ヨハネ8.31-42)
ヨハネによる福音
31〔その時、〕イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。 37あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。 38わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」
39彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。 40ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。 41あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、 42イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
「真理はあなたたちを自由にする」、「もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」。
今日の長い説教の中で繰り返される「自由」、これほど、人類の歴史の中でよく使われ、叫ばれ、そのために戦われ、血が流された言葉はないかもしれない。人類の歴史は、自由を獲得するための闘いとい言ってよいでしょう。そうした戦いによって、大きな自由が獲得されたことも事実である。貴重な代償を払って。一方に自由を手に入れようとする人がおり、反対に自由を奪おうとする人がいる限り、今も、なお、その戦いは続く。
しかし、聖書で使われる「自由」はかなり違った意味合いももっている。今日のイエスの言葉の中で、自由をもたらすのは、真理であり、神から遣わされた神の子イエスである。そして、真理がもたらす自由、子が与える自由は、人間が戦い抜いて勝ち取る自由ではなく、むしろ、神から差し伸べられ、与えられるものに、謙虚に心を開き、受け入れてはじめて与えられる自由である。ヨハネ福音書の冒頭に、「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」と書かれている。神のもとに溢れるほどに充満している「恵み」(ヘセド)、すなわち「神の愛」、そして「真理」(エメト)、すなわち、「神のまこと」、それこそが、人間に根本的な自由を与えるものであるということ。そのためには、自らの小ささ、弱さを認め、信じることが何よりも必要であることを悟る恵みを祈ろう。(S.T.)
とりあえず第一朗読。「そうでなくても、御承知ください。」
素晴らしい!