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教皇の意向:子を失った親 (11月)

受難の火曜日(26/3)

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主よ、あなたのためなら命を捨てます

ヨハネ13:37
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ49.1-6)

1島々よ、わたしに聞け
遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び
母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。
2わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して
3わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル
あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
4わたしは思った
わたしはいたずらに骨折り
うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり
働きに報いてくださるのもわたしの神である。
5主の御目にわたしは重んじられている。
わたしの神こそ、わたしの力。
今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ
イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを
御自分の僕として形づくられた主は
6こう言われる。
わたしはあなたを僕として
ヤコブの諸部族を立ち上がらせ
イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして
わたしはあなたを国々の光とし
わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

🌸 答唱詩編 詩編71 典146 ②③

詠唱 ア523 ③

🌸 福音朗読 (ヨハネ13.21-33、36-38)

ヨハネによる福音

 21〔そのとき、イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、〕心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 22弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。 23イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。 24シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。 25その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、 26イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。 27ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。 28座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。 29ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。 30ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
 31さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。 32神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。 33子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
 36シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」 37ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」 38イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 受難の火曜日の福音朗読では、最後の晩餐で、主が弟子たちの足を洗われた後のことが読まれた。イエスの最も近くに侍っていた弟子たちの中から、ペトロ、ユダ、そして、イエスの愛する弟子が登場する。焦点はイエスを裏切るユダ。
 こともあろうに、最も大事な場面で、信頼された弟子の一人が師を裏切ることを、福音記者は憚ることなく記している。さらには、弟子の頭と目されるペトロが師を否むことまで、あたかも、それが受難物語の欠くことのできない部分であるかのように克明に記録する。
 教会にとって、また、イエスに従おうとするものにとって、まさに、恥ともいうべきことを、あえて記すのはなぜだろうか。たまたま、そのような人間が弟子に含まれていたということだろうか。むしろ、そのような弱さと罪深さをあらわにする人間に対しても、あわれみを注ぎ、再起を促し、さらには、御自分の計画のためにお使いになる。そのような、神の限りない慈しみが、主の苦しみと死を通して誕生しようとする教会を生かし、支える力であることを、福音記者はあえて伝えようとしたのではないか。
 ユダの裏切りにあたって、ヨハネは記す、「サタンが彼の中に入った」と。さらには、「夜であった」と。人間を神から引き離そうとする闇の力が、その最後の抵抗を試みるとき、人間がどこまで落ちるかを教えようとされたのだろうか。イエスは、そのような人間を愛し、そのために自らのいのちを捧げてくださった。その意味を深く味わう恵みを祈ろう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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