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教皇の意向:子を失った親 (11月)

十字架称賛 祝日(9/14)

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御子によって世が救われる

ヨハネ3:17
集会祈願

聖なる父よ、あなは人類の救いのために、御ひとり子が十字架をになうようお定めになりました。十字架の神秘を信じるわたしたちが永遠にその勝利にあずかることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (民数記21.4b-9)

 4〔その日、イスラエルの民は旅の〕途中で耐えきれなくなって、 5神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 6主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。 7民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。 8主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」 9モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

またはフィリピ2.6-11

 6〔イエス・〕キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、 11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

🌸 答唱詩編 詩編78 典59 1ab 5ab

答 神のわざを思い起こそう、
  力ある不思議なわざ。

民よ、わたしの教えを聞け。
わたしの語ることばに耳を傾けよ。
わたしは口を開いてたとえをかたり、
過去のできごとの神秘を告げ知らせよう。
耳で聞いて知ったこと、
先祖がわたしたちに伝えたこと、
神の誉れと力、その行われた不思議なわざを、
わたしは子孫に隠さず、
次の世代に語り告げよう。  【答】

それでも、彼らは罪をおかし、
不思議なわざを信じようとしなかった。
彼らの日々は吹き消され、
そのいのちにわかに絶えた。
死が襲い始めると、
彼らは悔い改めて神を探し求め、
神がよりどころであることを思い出した、
すべてを越える神が
あがない主であることを。  【答】

アレルヤ唱 典266(十字架称賛)

アレルヤ、アレルヤ。キリストよ、あなたを拝み、たたえよう。主は十字架によって世をあがなわれた。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ3.13-17)

ヨハネによる福音

 13〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。 14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
 16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

奉納祈願

聖なる父よ、御子イエスは、十字架の上で世界の罪をになってくださいました。この神秘を示す供えものを受け入れ、わたしたちをすべての罪から清めてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い神よ、永遠のいのちの糧に強められて祈ります。キリストの十字架によってあがなわれたあなたの民を、復活の栄光に導いてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 十字架がキリスト教のシンボルとして広まったのは、4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが聖地エルサレムに巡礼した折、キリストの十字架の一部を発見したことによるとされています。その十字架発見を記念する祝日として、東方で、さらには西方の教会で今日の祝日が祝われるようになりました。そうした祝日制定の経緯はともかく、わたしたち一人ひとりにとって十字架とは何かは、繰り返し問わなければならない根本的な問いでしょう。
 ヨハネ福音書に「人の子は上げられなければならない」とあります。「上げられる」とは、文字通りには、十字架にかかること、そして、高められる、賞賛されるということです。しかし、そのためには、最も低いところに下らなければならなかったのです。フィリピの教会への手紙にあったように、キリストは、「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになった」のです。
 どこか遠い世界ではなく、まさに自分の中、そして人間の現実の中にある低いところ、人に見せたくない、目を背けたい、無視したい、そうした弱さ、小ささ、醜さ、それこそが、神が自らを表し、わたしたちを高めてくださるところだということを、悟らなければなりません。それこそが、神のいのちに与るための道、イエスが自らの十字架を担ってわたしたちに示してくださった真のいのちに至る「道」であることを、今日、あらためて悟る恵みを祈りましょう。(S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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